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人口爆発と『輝く都市』いま、世界の人口は約65億人。1日に約20万人増えているという。 では、西暦が始まった2000年前の人口はどのくらいだったろう。約2億人だそうだ。それから19世紀ごろまで、この地球に人類は緩やかに増えていく。ところが、19世紀ごろから人口は爆発的に増加する。 19世紀初頭の世界の人口は約10億人、100年後の20世紀初頭は約20億人、そして21世紀に突入するとなんと約60億人だ。時間を横軸に世界人口を縦軸にグラフにしてみれば、西暦がはじまって19世紀まではほとんど水平状態。ところが19世紀以降、グラフは垂直状態となる。地球が傷だらけになるはずだ。 産業革命以降の近代科学文明の発展が、19世紀以降の人口爆発をもたらしたことはいうまでもない。具体的には、近代科学医療、近代住宅(モダン・リビング)が、乳幼児の生存率を各段と高めたことによる。 さて、近代化とは、産業革命を契機に第1次産業から第2次産業への社会システムの構造変換だったといっていいだろう。そして、その工業を中心とした第2次産業に従事する新しい社会階層が登場する。ブルーカラー、ホワイトカラーと呼ばれ、20世紀近代社会の主役となるサラリーマン(賃金労働者)だ。彼らこそが、19世紀以降の人口増のほとんどをしめていて、その活躍の舞台となったのが都市だった。 19世紀以降の人口爆発、そして産業構造の変換が都市に集中するとしたら、中世の面影を残す既存都市に混乱が生じないわけが無い。19世紀は、都市の破壊と混乱の時代だった。そういっていいだろう。 その混乱する都市を、近代社会にふさわしい新しい都市にいかに再生させるか。それが、20世紀初頭の近代国家の大きな課題となっていく。具体的には、激増するサラリーマン家族のための住宅供給だった。彼らこそが、近代国家の繁栄を支える大切な労働力だったからである。 そうした時代の要請に応えようとしたのが、E・ハワードの『明日の田園都市』(1902年)構想だった。(※6月30日、8月3日コラム参照)。のどかな田園風景を景観デザインに取り入れたそのロマン主義的な街づくりコンセプトは、多くの近代国家に受け入れられ、郊外ニュータウンの規範となっていく。 ただし、田園都市構想は、戸建て住宅群、低層集合住宅群からなり、あくまでも低密度な街づくりだった。だからこそ、大地に接して住まうことを享受する理想の住環境が形成されたといえよう。 19世紀以降の人口爆発、都市への人口集中が進む一方、20世紀前半は世界大戦の時代でもあった。戦争は、都市の破壊と住宅難に追い討ちをかけていく。一気に大量生産可能で健康的な近代住宅を、より高密度で機能的な近代都市を、時代はさらに要請していた。 そうした背景から登場したのが、近代建築の巨匠ル・コルビジェが構想した理想都市『輝く都市』だった。 ル・コルビジェは、「住宅は住むため機械である」と言う。そして、1922年に『300万人の現代都市』、1925年には『パリのヴォアザン計画』と題したパリ大改造計画を提案する。それら『輝く都市』は、20世紀の近代都市のあるべき姿を決定づけた都市構想案といっていいだろう。 集合住宅やオフィスビルの超高層ビル群が規則正しく林立し、その足元には緑豊かな広大な公園が広がる。そして、中空を走る高速道路がその超高層ビル群を結び、都市全体が機能的に効率よくネットワーク化されている。太陽は、都市の隅々にまで降りそそぎ、超高層ビル群を光り輝かせている。それが、ル・コルビジェが描いた『輝く都市』だ。 彼は、また、『輝く都市』に内蔵される全く新しい居住空間の提案もしている。緑と太陽をそのまま住まいの中に取り込み、かつその住まいを中空に浮かしてしまおうというものだ。大地に接することなく、緑も太陽も思い切り享受できる住まいといっていい。だから、高密度の超高層集合住宅でも、自然を享受して健康的な暮らしが可能だということだろう。 『明日の田園都市』があくまでも大地に接して住まうことを享受し水平に伸びる水平都市なら、『輝く都市』は自然を享受しながらも空に向かって垂直に伸びる垂直都市といっていい。19世紀以降の人口爆発が、人の住まい、都市を空に向かわせたといえよう。 日本人は、いまだかつて大地を離れて中空に住んだことはない。でも、いま日本の首都圏でタワーマンションが林立しつつあり、その歴史が始まろうとしている。その光景は、20世紀初頭のパリで構想された『輝く都市』を髣髴とさせる。日本での垂直都市の実現もそう遠くないかもしれない。 当サイトは不動産に関する情報を収集するサイトです。
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